皆様 おはようございます。
岐阜店 営業担当 平です。
前回に引き続き「百人一首」についてお話させて
いただきます。
そもそも「百人一首」は現在のような「歌かるた」
として誕生したものではありません。
本来は「小倉山庄色紙和歌」と称され、色紙
一面に歌一首を書き、障子に貼って楽しんだ
「障子歌」でした。
「百人一首」が「歌かるた」として定着するのは、
それから数百年の後のことでした。
(つづく)
本日の一首(73番)
高砂のをのへの桜咲きにけり
外山のかすみたたずもあらなむ
前中納言匡房
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