いつもお世話になっております、本年もよろしくお願いします。
滋賀営業担当の東です。
お正月休みが終わったりましたねー
皆様いかがお過ごしでしたか?
年末の大掃除で風邪をひいて寝正月なんて声もちらほら聞きます。
ワタクシは年末に体調不良と言ってましたが、
まだまだ痛み出るにしても、少し落ち着きました♪
で、年末年始の暴食ラッシュにより、お腹が鏡餅化しました・・・
あー!そうです!
今日1月11日は鏡開きの日ですよ♪
ワタクシのたまりにたまった鏡餅腹も割ってダイエットをしたいなと(笑)
そう、この鏡開きも本来は白いお餅を刃物で切る事が「切腹」を
連想するから縁起が悪いとのことで、
木槌や手でたたいて割ってたそうです。
また、「切る」というのも縁起が悪いとのことで「開く」というそうですよ♪
また、今年もこの「何の日」を続けて行こうかなと思います(笑)
あと、驚いたのが「塩の日」らしいです!
1569(永禄11)年、武田信玄と交戦中の上杉謙信が、
武田方の領民が今川氏によって塩を絶たれていることを知り、
この日に年敵対関係にあった上杉謙信が武田信玄に越後の塩を送って
助けたそうです。
この話が「敵に塩を送る」という言葉の語源にもなったみたい。
・・・ん?
「敵に塩を送る」て良いイメージの言葉やなかったような・・・
はいっ!早速調べてみましたよ!
元々の意味合いとしては、争っている相手が苦しんでいるときに、
争いの本質ではない分野については援助を与えることのたとえだそうです。
「傷口に塩を塗る」と混同して、
悪い状態の上にさらに災いをもたらすという意味で使うのは誤りだそうです。
まさしく、この間違いの認識でした(笑)
これで、少しだけ大人になれた気がします(笑)
これを調べているときに、
先日安倍総理が真珠湾を訪れたときにおっしゃられた言葉の中に
「昨日、私はカネオヘの海兵隊基地に、
1人の日本帝国海軍士官の碑(いしぶみ)を訪れました。
その人物とは、真珠湾攻撃中に被弾し、母艦に帰るのをあきらめ、
引き返し戦死した、戦闘機パイロット、飯田房太中佐です。
彼の墜落地点に碑を建てたのは、日本人ではありません。
攻撃を受けていた側にいた、米軍の人々です。
死者の勇気をたたえ、石碑を建ててくれた。」
という話が有ったことを思い出しました。
また同じように、和歌山県田辺市にも1945年5月5日にB29が墜落しており、
搭乗兵11人の内、7人が死亡。
和歌山県の人達は、空襲に来た敵国の兵士だったにも関わらず、
事故現場から遺体を探して埋葬し、戦争中に慰霊祭を開いていたり、
戦後に石碑を建立したりされているようです。
それを思うと個々が憎しみ合って戦争をしていることもなく、
双方信じる正義のため戦った人たちなんだなと、
思いました。
本来戦争がなければこのような話も生まれなかったわけで、
世界平和を願いたものです。
では、今年一年、少しは痩せたいなと思いますので、
どうぞよろしくお願いします。
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