慣れ親しんだ通勤道の歴史。

お世話になっております、本店店長の上田です。
 
 
 
今回は私が毎日通勤で使用する、
大津市大谷町にある逢坂関についてお話いたします。
 
 
 

逢坂山案内板
逢坂山案内板

 
 
 
逢坂関(おうさかのせき、あふさかのせき)は、
山城国(現在の京都市宇治市)と近江国(現在の滋賀県)の
国境となっていた関所です
 
 
 
東海道と東山道(後の中山道)の2本が逢坂関を越えるため、
交通の要となる重要な関でした。
  
 
  
その重要性は、平安時代中期(810年)以後には、
古代の日本で畿内周辺に設けられた関所の内、
特に重視された三つの関の総称「三関」の
一つとなっていた事からも見てとれます。
  
 
  
なお、残り二関は不破関(岐阜県不破郡関ケ原町)と
鈴鹿関(三重県亀山)です。
  
 
  
逢坂関は近世に国道が掘り下げられたことなどから、
関の有った場所は定かではないようです。
  
 
  
しかし、逢坂2丁目の長安寺付近にあった関寺と
逢坂関を関連付ける記述が更級日記や
石山寺縁起に見られる事などから同寺の付近に
あったと見られています。
  
 
  

逢坂山関址
逢坂山関址

  
 
  

これとは別の滋賀県大津市大谷町の国道1号線沿いの
逢坂山検問所(京阪京津線大谷駅の東)脇には
「逢坂山関址」という碑が建てられています。
  
 
  

逢坂山 (左)京阪 (右)国道1号線
逢坂山 (左)京阪 (右)国道1号線

  
 
  

京阪電車 大谷駅
京阪電車 大谷駅

  
 
  

現在逢坂山関址がある場所付近には
国道1号線、名神高速道路、京阪電車京津線、
地下にはJR東海道線のトンネルがあったりと、
過去も現在も交通の要となっているようです。
  
 
  

蝉丸の詩
蝉丸の詩

  
 
  

逢坂関は歌枕としても知られ、
百人一首でも二つの歌で詠まれています。
  
 
  
これやこの
   行くも帰るも
      別れては
知るも知らぬも
   逢坂の関
      蝉丸(第十番)
  
 
  
夜をこめて
   鳥の空音は
      はかるとも
よに逢坂の
   関はゆるさじ
      清少納言(第六十二番)
  
 
  
私は滋賀県に住んでいますので、
通勤で毎日通るのですが、
そういった場所にも深い歴史が
あるものだと思い驚かされます。
  
 
  
現在、逢坂関址付近には
うなぎ屋の「かねよ」さんがあります。
  
 
  

うなぎのぼり
うなぎのぼり

  
 
  

かねよさんは明治5年(1872)創業された
老舗うなぎ屋で、いつも鯉のぼりならぬ
うなぎのぼりがたなびいております。
  
 
  
また、かねよさんは庭園がすごいそうで、
百人一首の三条右大臣に詠まれた
名木「逢坂山のさねかづら」の
現存する唯一のスポットです。
  
 
  
庭園には池を囲んで、桜、さつき、楓が
競い合うように生い茂っているようです。
  
 
  

日本大津絵文化協会 福井敏彦氏 画
日本大津絵文化協会 福井敏彦氏 画

  
 
  

庭園内には先日紹介させていただいた、
その昔、牛馬車の通行を容易にするために
旧東海道の京都と大津の間に敷設されたという
「車石」、「閂石」なども見ることができるそうです。
  
 
  
土用のうなぎは過ぎましたが、機会があれば
寄らせていただけたらと思います。
  
 
  
調べているうちに何気ない風景や、
通勤道にも歴史や珍しいものも
有るのだと思いました。
  
 
  
また、時間が有るときには、自分の慣れ親しんだ
モノや場所に思いをはせてみたいと思います。
  
 
  
では、このあたりで、失礼いたします。
  
 
  

本店店長 上田
本店店長 上田

※日本一のうなぎ【かねよ】HPより引用
 http://kaneyo.in/tenpo/index.html
※wikipedia逢坂関より引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A2%E5%9D%82%E9%96%A2

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