こんにちは 京都営業の安城です。
先日、本経寺様の墓地で、納骨のお手伝いをしました。
このあたりは、伏見区小栗栖と呼ばれ、
明智光秀終焉の地として知られています。
「本能寺の変」で織田信長を討ったものの、
そのわずか、2週間後には羽柴秀吉に、
天王山・山崎の戦いで敗れてしまいます。
その戦いののち、光秀は居城坂本城へと戻る
敗走中に、小栗栖の竹やぶで落武者狩りの、
農民に襲われ命を落としたという説があります。
明智光秀が最期を遂げた場所が「明智藪」と呼ばれる地。
今も、住宅地のはずれにその場所は、あります。
特に観光地化されているわけではなく、史跡的な扱いです。
碑の先には案内看板がありますが、この先はお寺の寺領?
雨の降る日に通ると、軍勢の雄叫びが聞こえるとか、
「ワタ出」と呼ばれる竹が全く生えない小さな空地があり、
その場所こそが、まさに光秀最後の地。
脇腹に刺さった竹槍を引き抜いた時に、
その弾みで光秀の腹から血と内臓が地面に、
飛び散った場所と言われています。
また、真っ赤な葉が生える竹が無数に生えていたとも
言われています。
「明智藪」が境内にある本経寺様には、
悲運の戦国武将光秀の供養を捧げて
歴史の一端を伝えると記されています。
なぜか悪役のようにされてしまっていて不遇の扱いを
うけがちな光秀。真実はどうなのでしょうか?
本経寺墓地 ☚ 空き区画 あります
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