お世話になっております。本店店長の上田です。
今回は大津市横木1丁目にある、真宗大谷派 閑栖寺の
御住職が代表をされている、「車石・車道研究会」が
研究されておられ、閑栖寺の境内に復元されている、
「車石、牛車道、人馬道」についてお話させて
頂こうと思います。
皆様は車石というものをご存じでしょうか?
私は、先日弊社の勧修寺店に展示されたこともあり、
モノは知っていました。
しかし、どういった用途で使われていて、
どうしてこういったレールのような形に
なったかまでは知りませんでした。
この度、閑栖寺の御住職に直接お話を聞かせて頂く
機会があり、その時に勉強させて頂きました。
そもそも、閑栖寺は東海道五十三次の旧道沿いにあるお寺で、
特に江戸時代には人馬及び牛に車の往来が盛んな場所でした。
街道筋には大津絵をはじめ、くすり、みすや針、ソロバンなどを
売るお店が軒を連ねにぎわっていたそうです。
このような往来の激しい街道には牛荷車専用の
「車石(くるまいし)」が敷設された「牛車道」と
人馬の安全を図るために牛車道より30cmほど高い
位置に人馬専用の「人馬道」が設けられていたそうです。
車石を敷設することにより車輪が砂利に取られることなく、
スムーズに回るようで、荷車を引く牛の負担が軽減されるようです。
閑栖寺の前は江戸日本橋から来て最後の宿場町の大津宿から京の都へ
入る最終区間となります。
特に人やモノの往来も激しく、京の都へ江州米(近江米)などを
運ぶ牛荷車も多かったそうで、お寺の前にも車石の敷設された牛車道と
人馬道が設けてあったそうです。
これらの工事には、京の心理学者 脇坂義堂、
近江商人 中井源左衛門が携わったといわれています。
歩車分離の考え方は前人の動物愛護や交通安全に対する思いを感じます。
車石の変わったレールのような形ですが、
これは人為的に作られたものではなく、
米9俵(約540kg)を積んだ牛荷車の重量で
自然にできたものだそうで驚きです。
車石の敷設については文化2年(1805年)に整備されたようで、
大津市歴史博物館には当時の古地図も保管されています。
閑栖寺境内にある復元については古文書などに基づき
「車石・車道研究会」の指導を受けて
平成23年(2011年)5月に行われたそうです。
それから平成25年(2013年)6月には地元の
有志者からの車石の寄贈を受けて拡張整備されたそうです。
なお、車石の敷設について、すでに文化年間以前にあったとする説もあり、
宝暦時代(1751年)に改修された閑栖寺の本堂余間の基礎石として、
既に使用されていた車石も発見されたそうです。
普段石に接し仕事をさせて頂いており、
こういったレール型に石が変形するのは人為的なものだと
考えていました。
この度勉強をさせて頂き、こういった状況下では
石もここまで自然に変形するものだとしりました。
この度は御住職のお話を聞かせて頂けて、
本当に良かったです。
御住職、ありがとうございました。
では、このあたりで失礼いたします。
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