「滋賀県大津市岡山霊園(岡山墓地)の由来」

お世話になっております。大津店店長
(お墓ディレクター1級所持)の桝本です。
 
 
 
前回は、岡山霊園内にある「膳所烈士」の
お墓にについてお話しましましたが、
今回は、岡山霊園(岡山墓地)の
由来についてお話します。
 
 
 
一般的には、墓地の名称は、
地名から付いてるのが多いのですが、
この墓地は人の名前から付けられました。
 
 
 
膳所藩主の本多俊次公の10番目息子「鎮俊」が、
キリシタン大名の立花家に養子に行きました。
 
 
 
当時幕府はキリシタンの弾圧が厳しく、
54歳の時離縁となり、膳所に帰ってきました。
 
 
 
只、本人もキリシタンの信者でしたので、
膳所藩内には入れず、
藩主の本多公は世をはばかり、
膳所城の(現 大津市湖城が丘)西の丘に、
鎮俊公の従僕「岡山佐平治」と共に住まわせました。
 
 
 
その後、鎮俊公は58歳で亡くなり、
「岡山佐平治」も後を追うように亡くなり、
両人ともこの丘に埋葬しました。
 
 
 
鎮俊公の従僕「岡山佐平治」は主君の鎮俊公を
親身になって世話したので、
「岡山佐平治」の姓「岡山」を伝え、
以後この地を「岡山墓地」と称しました。
 
 
 

本多鎮俊公・岡山佐平治のお墓(松)「岡山霊園冊子より引用」
本多鎮俊公・岡山佐平治のお墓(松)「岡山霊園冊子より引用」

 
 
 

両人を埋葬した時、お墓代わりにそばに松を植えましたが、
今は枯れております。
 
 
 
代わりに石碑(石柱)が建ててあります。
岡山霊園管理委員会が、管理しています。
 
 
 
この由来をご存知の方は、
両人のお墓参りされています。
 
 
 
皆さんも、ご都合が合えば
お墓参りして下さい。
 
 
 
前回のお話しの「膳所烈士」と同様に
毎年、春の彼岸会・お盆万灯会・秋の彼岸会
私共山本石材店もお手伝いをさせて頂いて、
供養法要をしています。
 
 
 
前回もお話ししましたが、
この様に江戸時代からある墓地で、
歴史上有名人のゆかりのお墓もまだまだあります。
 
 
 
また調べてお話しますので、本日はこの辺で終わります。
 
 
 
ありがとうございました。
 
 
 

大津店店長 桝本
大津店店長 桝本
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